“日本人の知らない”日本映画が見えてくる3つのイベント

6月14日に終了した企画展「シネマティック・ジャパン―世界を魅了した日本映画たち」会期中には、異なる地域や時代を背景に、海外での日本映画受容について知るイベントを開催しました。今回はそれら3つのイベントをまとめてご報告します。

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①5月9日(土):トークイベント「宣材から見る、世界で注目される邦画の今昔」ゲスト:ダニエル・アギラルさん

翻訳家、映画史家として活躍されているスペイン出身のアギラルさんには、「映画資料コレクター」としての一面もあり、今回の展示でも数多くの資料をご提供いただきました。2023年、アギラルさんのコレクションをもとにインスティトゥト・セルバンテス東京で開催された展覧会「娯楽映画の黄金時代・日欧映画交流」は、日本の娯楽映画がいかにヨーロッパで見られてきたかを紹介したもので、日本ではあまり知られていないマニアックな映画も多く、注目すべき展覧会でした。今回のイベントでは、アギラルさんが資料をコレクションする過程で積み上げてきた、欧州における日本映画の受容研究を披露していただく貴重な機会となりました。

アギラルさんのお話で特に印象的だったのは、名作と言われる映画も、ジャンル映画・娯楽映画に分類される作品も、すべてフラットな視線で対等に語るその姿勢でした。同時に、誰もが知らず知らずのうちに優劣をつけたり、有名・無名を分けることで作り上げてきた〈日本映画史〉と、海外で認知されている〈ジャパニーズ・シネマ〉とは大きなずれがあることもよくわかりました。映画史上の名作とされるような作品の多くは一般の観客にとって、「長い、暗い、わかりにくい」ものでしかなく、インテリや都会向けと考えられていたため実際の観客数は少なかったこと、反対に、日本国内では知られていなくても明るくて物語が単純で、性的な魅力の詰まった映画は地方の映画館でもかかっていたので観客数はより多かったとのこと。長い作品の場合、上映時間を短くしたバージョンで公開されることもあったようです。完成版に勝手に手を入れることは、作り手にとっては言語道断、もちろん今では許されないことですが、そうやって日本映画が見られてきたこともまた、揺るぎのない事実なのです。

アギラルさんによると日本映画の海外進出以前にも、戦前からヨーロッパ映画の中に日本の要素が盛り込まれたり、実際に日本人俳優が出演することで日本のイメージが少しずつ定着していったようです。パリに生まれ欧米で女優として活躍した谷洋子や、川喜多かしこの紹介で欧米の映画作品に出演し、のちにボンドガールにも選ばれた若林映子など、日本以上に海外で名の知られていた俳優たちのお話、そして1950~60年代にかけて、ミュージカルやSF、やくざ、怪獣など日本のジャンル映画によって日本趣味が生まれていった過程などを、ご自身の経験もふまえてお話しいただきました。いずれも日本人観客にとっては馴染みのない内容ばかりで、日本人が知らない、もうひとつの日本映画史が存在するということがとても新鮮に感じられました。

②5月30日(土):活弁+生演奏付き上映『十字路』(1928年)弁士:澤登翠さん、楽士:湯浅ジョウイチさん

当館では年に1回、活弁付き上映を実施しています。無声映画時代に日本ならではの上映形態として発展した「活弁」ですが、今では日本の伝統的な「話芸」として幅広い年代に親しまれ、若い弁士も次々と誕生しています。今回はヨーロッパで初めて一般上映され成功をおさめた、衣笠貞之助監督による前衛時代劇『十字路』を上映しました。

日本映画の海外進出は1950年代、『羅生門』をきっかけに本格化していきますが、戦前から少なからぬ映画人が“外国にも通用する日本映画を”という野心を持っていました。女形の役者からキャリアをスタートさせた衣笠貞之助は、時代劇スター林長二郎(のちの長谷川一夫)を見出すなど、主にチャンバラ映画で手腕を発揮していましたが、一方で川端康成や横光利一と前衛的な『狂った一頁』(1926)を作るなど、映画芸術の発展にも大きく貢献しています。『十字路』は、娯楽時代劇の全盛期にあえて立ち回り(剣戟)を排した時代劇を作ろうという試みで、衣笠は完成した作品をもって渡欧、日本という物珍しさと高い芸術的完成度を併せ持った本作は、ドイツやフランスを中心にヨーロッパで高く評価されました。

その後、失われていたはずのフィルムがロンドンのフィルムアーカイブに所蔵されていることが判明し、英語版が日本に返還されました。以来、上映の機会はあったものの、実験的な作風ゆえ公開当時のように活弁付きでの上映はとても貴重で、活弁文化の第一人者であり当館にも毎年ご出演いただいている大ベテランの澤登翠さんにとっても、『十字路』を語るのは初めてだったそうです。

澤登さんは、今回のために一から活弁用の台本を作成してくださいました。そして昨年に続き、楽士として湯浅ジョウイチさんも参加してくださいました。場面に合わせてギターと三味線を巧みに持ち替えながらの湯浅さんの演奏は見事でした。

上映、学芸員による作品解説と続き、最後にはYouTubeチャンネルでもコンビを組んでいるというお二人に再びご登場いただき、息の合ったトークを繰り広げていただきました。なんと湯浅さんの演奏はすべて即興だったそうです。「もう二度と再現できないから、録音しておけばよかったですね」とさらりと言ってのける器の大きさに、お客様も主催者も思わずのけぞってしまいました。澤登さんと湯浅さんは、事前の練習で合わせることはしないそうで、だからこそ本番では、湯浅さんの伴奏によって澤登さんの活弁も変わってくるのだそうです。活弁とは何よりも「ライブ」であること、観客はいつの間にか弁士と楽士のグルーヴを堪能させてもらっているのだと実感できる貴重な機会に、お客様の感激もひとしおでした。

③6月6日(土):特別上映『愛のコリーダ』+トークイベント「海外で日本映画を見せるということ」ゲスト:平野共余子さん

平野共余子さんは1986年から2004年まで、アメリカ・ニューヨークにある非営利団体「ジャパン・ソサエティ」の映画プログラマーとして、日本映画の上映活動に携わってこられました。占領期の映画検閲資料を紐解いた博士論文の書籍化「天皇と接吻」の成果も含めて、1999年には川喜多賞を受賞しています。今回のトークでは、アメリカで日本映画がどのように上映されてきたか、どんな日本映画がアメリカの観客に好まれてきたのか、そしてジャパン・ソサエティでの思い出深い特集についてお話しいただきました。

アメリカでは黒澤明・小津安二郎といった巨匠より後に紹介された成瀬巳喜男の人気が今でも高く、成瀬フリークたちの会話を盗み聞きした話、公開当時日本ではヒットしなかった伊丹十三監督の『タンポポ』(1985年)が、ジョーク好きでコミカルな映画を好むアメリカ人観客に思いがけずウケた話、そんなアメリカの観客に、人生の苦みを描くことに長けた成瀬がここまで愛される理由が今もってよくわからない話など、日本映画の受容からその国の国民性が浮かび上がる様子がとても興味深かったです。

ご自身の企画では、鈴木清順監督作品などでその手腕を発揮した「美術監督・木村威夫特集」や、温泉が登場する作品を集め、旅行会社や温泉の名所とも協力しながら観光目線で映画を楽しんでもらう「温泉映画特集」、保守的な役員も多いジャパン・ソサエティで「ロマンポルノの巨匠・神代辰巳特集」を実現するためにどんな工夫を試みたかなど、四半世紀前とは思えぬ記憶力の良さで語ってくださり、同じ上映の仕事に携わる記念館スタッフにとっても大いに勉強になりました。

このように海外で日本映画上映に従事してきた平野さんにとって、川喜多かしこはひと際重要な存在だったようです。川喜多かしこをはじめ、海外での日本映画上映の仕事はすべて、この映画を上映したいという人間の情熱が繋げてきたものであるという言葉で締めくくられた平野さん、時代や場所が変わっても、作り手から生み出された映画を見せたい、届けたいという上映の仕事の重要さを改めて感じることができました。