企画展「映画雑誌の流儀 ―近代映画社の仕事」が始まりました
4月に入り、暖かい日が続いておりますがいかがお過ごしでしょうか?
当館の遊歩道や庭園でも、春の景色が望めるようになりました。
4月5日より、新しい企画展が始まりました。

本展では、戦後まもない1946年5月に創刊し、外国映画を中心に紹介する映画雑誌「SCREEN」(近代映画社発行)に着目しています。

創刊当時、表紙は女性の起用が主流であったにも関わらず日本の女優・原節子と男性スターのタイロン・パワーを表紙に起用した「SCREEN」。革新的な試みを続ける近代映画社の仕事は、すでに創刊号からも見ることができます。
わずか16ページほどの小冊子で始まった同誌は、外国映画の公開が増えるとともにページ数も増えて様々な映画とスターたちを紹介してきました。やがて、近代映画社は海外を訪れた映画人に現地リポートを依頼するようになります。その中には戦後、外国映画の輸入と日本映画の紹介に尽力してきた川喜多長政・かしこ夫妻も含まれました。川喜多夫妻のリポートは二人の大志と日本の映画界への期待で溢れています。展示室で実際にお読みいただけますので、ぜひお立ち寄りください。
そして1959年、小杉修造氏が初代ハリウッド通信員として海外に渡航し現地取材を始めます。小杉氏がハリウッド通信員として活躍する頃には外国映画を紹介する映画雑誌が溢れており、「SCREEN」は他誌との差別化が求められていました。同じく近代映画社が発行していた映画雑誌「近代映画」で日本の映画スターに取材していた小杉氏は現地取材の重要性に気づき、海外渡航が困難な時代にありながらもハリウッドに向かい、取材を続けたのです。やがて小杉氏の仕事は、ヤニ・ベガキス氏、成田陽子氏に引き継がれていきます。
また、近代映画社は来日した映画スターや、『007は二度死ぬ』(1966年)など日本ロケが行われた作品の撮影現場で、取材を行いました。近代映画社は、海外と日本の両方から生の映画情報を届けてきたといえます。
今回の展示では、「SCREEN」の編集後記を抜粋したコーナーを設けています。編集後記からは近代映画社の仕事が垣間見えます。例えば同誌1968年8月号の編集後記には、この年のカンヌ映画祭が中止になったと記述があります。同号では「嵐に流されたカンヌ映画祭」という記事で、パリの五月革命を発端にジャン=リュック・ゴダールやフランソワ・トリュフォーらが映画祭の中止を求めたことが紹介されました。このカンヌ映画祭中止が契機となってヌーヴェル・ヴァーグは終焉を迎えたと言われていますが、「SCREEN」は映画史の大きな転換期に立ち会ったといえるでしょう。
本展は、外国映画の日本公開を待ち望んでいた映画人、外国映画を通して海外の文化に触れたいと願った映画ファンの思いを受けとめてきた映画雑誌「SCREEN」の軌跡を辿る企画展です。

展示室を入って最初に目を引く壁面。普段は大きな映画ポスターを展示していますが、今回は近代映画社所蔵の写真をずらりと並べました。その他にも近代映画社の所蔵するサイン入りポートレートや写真パネル、そして「SCREEN」表紙パネルなどを展示しています。「SCREEN」を彩った映画スターたちとともに、皆さまのご来館を心よりお待ちしております。




上映は4/17(木)より『マイ・フェア・レディ』でスタートします。映画雑誌「SCREEN」で最も多く表紙を飾ったオードリー・ヘプバーン主演のミュージカル映画を、ぜひスクリーンでお楽しみください。
*『マイ・フェア・レディ』は途中休憩(約10分)が入ることになりました。急な変更となりますが、何卒ご了承ください。
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