企画展《ジェラール・フィリップと忘れじの名優たち》 イベント報告
鎌倉市川喜多映画記念館では、2024年1月20日から4月7日まで
企画展〈ジェラール・フィリップと忘れじの名優たち〉を開催しました。
戦後のフランス映画・演劇界を代表する俳優ジェラール・フィリップは、代表作『花咲ける騎士道』(1952年)の主人公の名前から“ファンファン”の愛称で親しまれました。日本では2022年12月4日の生誕100年を機に、全国巡回の特集上映が組まれています。1959年に、36歳の若さで亡くなったジェラール・フィリップですが、こうして企画展を開催できたのは、彼の演技と佇まい、映画出演作を愛し、いつまでも忘れずにいるファンが日本にもたくさんいたからです。ジェラール・フィリップは没後も世代を超えて多くの人をスクリーン上で魅了し、いつまでも輝きを放ち続ける存在であった──本展ではそのことをあらためて感じました。各地から鎌倉へと何度も駆けつけてくださったファンの皆さまに感謝いたします。また本展をきっかけに彼の出演作に興味を持ち、見に来てくださった方々にも感謝を申し上げます。
2月11日には、ジェローム・ガルサンの著作「ジェラール・フィリップ 最後の冬」(※ドゥ・マゴ賞を受賞し、同名のドキュメンタリー映画のもとにもなった)を翻訳された深田孝太朗さんと、サン=テグジュペリやスタンダールの小説の翻訳や、「ジャン・ルノワール 越境する映画」など映画に関する著書でも知られる仏文学者の野崎歓さんをお招きして、トークイベントを開催しました。
お二人は、かつて東京大学仏文科の教師と教え子の間柄であり、「旧知の仲である」と、野崎先生からご紹介がありました。現在では、深田さんは新進気鋭の仏文学者として、このようなすぐれた翻訳書を出されており、野崎さんから「このたびは深田さんにジェラール・フィリップのことを色々と教えていただきたい」という形で対談が始まりました。
フランス映画の日本における受容は、ヌーヴェル・ヴァーグの前後を境として、大きな変遷がありました。フランソワ・トリュフォーやジャン=リュック・ゴダールらの登場は、若者たちの映画に対する向き合い方に大きな影響を及ぼし、やがては生き方や考え方にまで変化を生じさせるほどでした。1950年代までのフランス映画は、撮影所に巨大な美術セットの〈巴里〉が作られ、その中で撮影が行われていましたが、ヌーヴェル・ヴァーグの作家たちは、こうしたスタジオでの助監督時代を経ずに、撮影所を飛び出して実際のパリのみずみずしい姿を捉えていくという変革を起こしました。フランス映画のこうした新しい動きに夢中になった世代として、野崎さんはご自身もその影響下にあるとのこと。
『巴里祭』(1933年)や『巴里の屋根の下』(1930年)『天井棧敷の人々』(1945年)(いずれも東和配給)など、川喜多夫妻が日本に紹介した古典期フランス映画の数々は、さらに上の世代の映画ファンにとってはどれも忘れられない作品です。ジェラール・フィリップの活躍した時代も、まさにこうしたセット技術が円熟の域に達し、栄華を誇った頃と重なっています。
ヌーヴェル・ヴァーグの作家たちが、ジェラール・フィリップという俳優を目の敵にしたことに関して、深田さんは「旧世代を批判して新たな美学を確立するというのは、映画に限った話ではなく、芸術や文学の歴史においては繰り返されてきたこと」と補足し、フランスの文化的な背景からもご説明くださいました。
ジェラール・フィリップは、『星の王子さま』の朗読レコードをはじめ、いくつものナレーションを務めるほどの美声がよく知られ、舞台でもひときわ通る声でした。ジェラールのフランス語の発話やその魅力について、お二人ともご自身の渡仏の体験などをまじえながら、詳しく語ってくださいました。
話題はその後、ジェラールの前後期に活躍したジャン・マレー、アラン・ドロンとの共通点や違いについて、『白痴』『星のない国』(ともに1946年)『美しき小さな浜辺』(1949年)などジェラール初期出演作における魅力の萌芽、エドウィージュ・フイエールやマリア・カザレス、ジャンヌ・モローなど舞台でもジェラールと共演した女優たちについて……と続き、あっという間に時間が過ぎていきました。古典期から現代映画へとフランス映画が変貌を遂げていく中で、どのような連なりと断絶があるのか、どの世代の方にとっても分かりやすく、色々な作品の魅力についてお話しくださいました。
3月16日『肉体の悪魔』の上映後には、映画配給会社セテラ・インターナショナルの代表、山中陽子さんにお越しいただきました。『肉体の悪魔』『赤と黒』をはじめ、今回のジェラール・フィリップ出演作のほとんどを配給しているセテラ・インターナショナル。20代の山中さんとG・P(ジェラール・フィリップ)との運命の出会いから、彼の映画を上映するために、1989年に配給会社を設立し、G・Pの生誕80周年、90周年と節目節目にジェラールの特集上映を組み、全国巡回をされてきたこれまでの道のり、そして2022年末には「ジェラール・フィリップ 生誕100年映画祭」の開催へと至ったことなどを詳しく伺いました。今回の企画展で上映したジェラール・フィリップの出演作品が、日本語字幕付きで現在もスクリーンで観ることができるのも、一人のフランスの俳優の関連資料が、ここまで一堂に会することができたのも、山中さんのおかげであると言っても過言ではありません。
川喜多かしこや髙野悦子(岩波ホール総支配人)ら、ジェラールと同じ時代を生きたファンからの熱烈な支持だけでなく、山中さんのように、彼の亡きあともこうしてスクリーンで夢中になった人が数多くいるということが、日本におけるジェラール・フィリップの特集上映の灯が続いている大きな要因になっています。
山中さんはセテラ・インターナショナルを設立後、1950年代のG・Pの人気絶頂期にファンになった方々、1953年の「第一回フランス映画祭」のため彼が来日したとき実際に会ってサインを求めたファンの方とも、特集上映などを通して交流を持つようになりました。「クラブ・ファンファン」という名のG・Pファンクラブを創設し、交流会や講演会を開催、南仏にジェラールゆかりの地を訪ねに行くツアーなども企画してきました。「クラブ・ファンファン」の方々と協力して作ったファンブックの決定版「生誕90年 フランスの美しき名優 ジェラール・フィリップ」には、1953年のG・P来日時の様々な資料(写真や新聞記事、インタビュー、対談の書き起こしなど)が載っている他、山中さんがフランスでミシェル・モルガンやミシュリーヌ・プレールの自宅を訪ね、インタビューした記事なども収められています。
トークイベントでは、今年2月21日に101歳で亡くなった『肉体の悪魔』の共演者、ミシュリーヌ・プレール(G・Pと同じ1922年生まれ!)に会った際のことについて、とりわけ詳しく伺いました。そしてまた、山中さんの熱意によって日本でのみ刊行されたG・Pの舞台出演時の写真集「アニエス・ヴァルダによるジェラール・フィリップ」についても詳しく経緯を伺いました。この本は、G・Pが所属していたTNP(国立民衆劇場)で、かつて専属カメラマンをしていたアニエス・ヴァルダ(※のちにすぐれた映画作家としても活躍)の写真集で、日本では直接観られることのない貴重な舞台でのG・Pの姿を撮影したものです。
序文には、アニエス・ヴァルダの言葉で「この写真集は、山中陽子がわれわれの記憶のうちにただよう王子にひそかに恋した結果、世に出ることになったものである」と書かれています。今回のトークイベントでは、山中さんのように驚異的な情熱をもって一心に取り組んでいる方のおかげで、こうして日本でもジェラール・フィリップの特集上映や展覧会の開催が可能となり、また関連書籍を日本語で読むことができるということを、参加した皆様にも感じていただけたように思います。それは、野崎さんや深田さんが翻訳し、日本に紹介した書物も同様です。この二つのトークイベントと企画展を通して、フランス映画やジェラール・フィリップに、これまで以上の親しみや興味をもっていただけたならば幸いです。
本展の開催にあたり、セテラ・インターナショナルをはじめ、ご協力くださったすべての皆様にあらためて感謝を申し上げます。