シネマウィーク「災禍のなかで―いま、考える《関東大震災》」を開催しました

関東大震災から100年を迎えた昨年2023年9月1日は、例年以上に震災の歴史が注目され、テレビや新聞では様々な特集が組まれました。映画界でも震災をテーマにした作品が公開され、大きな話題を呼びました。その後、今年の元日には能登半島地震が起こり、日本に生きる私たちにとって大地震が他人事ではないことを改めて突き付けられることになりました。それとともに映画を通して震災という災禍を考える機会にできればと、5月14~19日に「災禍のなかで―いま、考える《関東大震災》」と題した特集を実施しました。

シネマウィーク202405

上映作品は、関東大震災当時のアーカイブ映像から、それらを撮影したキャメラマンたちを浮かび上がらせるドキュメンタリー『キャメラを持った男たち~関東大震災を撮る~』(井上実監督)、当時千葉県福田村に滞在していた香川からの行商人一行が、朝鮮人と疑われて村の自警団に殺された史実を基にした劇映画『福田村事件』(森達也監督)の2本の新作、そして震災の混乱を背景に朝鮮人や社会主義者らが虐殺される中で起こった大逆事件を描いた2017年製作の韓国映画『金子文子と朴烈』(イ・ジュニク監督)です。

18日(土)と19日(日)には、『キャメラを持った男たち』と『福田村事件』の上映後にトークイベントを実施しました。

『キャメラを持った男たち~関東大震災を撮る~』のトークイベントでは、井上実監督と映画にも出演しているフィルムアーキビストのとちぎあきらさんにご登壇いただき、とちぎさんが携わっていた「関東大震災映像デジタルアーカイブ」のプロジェクトと映画の企画がどのように出会い、併走して完成に至ったかについてお話しいただきました。

国立映画アーカイブでは所蔵作品の活用の一環として、昔の映像をデジタル化してオンライン上で公開するプロジェクトを行っています。これまでにも、現存する日本最古のアニメーションとされる『なまくら刀』(1917年)を含む、無声映画期の日本のアニメーション映画を公開する「日本アニメーション映画クラシックス」、日本映画の誕生から120年を記念してお披露目された「映像でみる明治の日本」など、古く貴重な映像資料にアクセスできる環境を整えてきました。「映像でみる明治の日本」では、1899年の九代目市川団十郎、五代目尾上菊五郎による歌舞伎の舞台を記録し、日本最古の映画として映画では初めて国の重要文化財に指定された『紅葉狩』も見ることができます。

「関東大震災映像デジタルアーカイブ」は、国立映画アーカイブが所蔵する震災を写したすべてのフィルムをデジタル化し、震災から100年となる2023年9月1日までにサイト上で公開することを目指して、2021年に立ち上げられたプロジェクトです。撮影された場所や場面ごとに選んで見ることができ、研究者によるコラムや関連資料の画像も公開しています。トークでは「火災」や「倒壊」といった震災にまつわる事象だけでなく、そこに映り込んでいる人々が何をしているのか、地元の人なのか別の場所からやってきたのか、そしてフレームの外には何があったのか(何故カメラはそれを撮らなかったのか)に至るまで、様々な分野の専門家が映像を読み解き、詳細な解説が加えられていった過程がとちぎさんより紹介されました。

このように震災の映像をデジタル化するプロジェクトが始まり、もう一方で震災のアーカイブ映像を使ってドキュメンタリー映画を製作する企画が進められるなかで、両者が出会い、同じ方向を向いて併走しながらできたものが本作でした。とちぎさんは、収蔵資料の活用が求められる文化施設にとって、その資料が新たにクリエイティブな映画作りに生かされる今回の企画はまさに「渡りに船」だったといいます。

井上監督は、記録映画保存センターの村山英世さんから「キャメラマン」たちをメインにした映画というお題を与えられた際、『映像の世紀』(世界のアーカイブ映像で再構成されたドキュメンタリー番組)の手は使わない、と決意されたそうです。なぜなら、これは誰が撮ったかわからない映像ではない、キャメラの後ろに人としてのキャメラマンがおり、映像そのものから撮影者の意図や視点がより伝わってくるものだからです。実は監督はもともと「キャメラマン」になりたかったそうで、映画作りにおいて特権的な位置を占める撮影監督に対する井上監督の憧れと信頼が、残されたアーカイブ映像の背後にいた「人としてのキャメラマン」に光を当てるという、本作の特異性かつ素晴らしさを生み出したのだと感じました。

この作品には公開後の後日談もあります。映画公開後に、個人の方から「うちにも震災のフィルムがあります」という申し出があり、フィルムを確認したところ、岩岡巽キャメラマンが撮った映画で使われたものと同じ映像であることがわかったのです。新たに見つかったフィルムは、映画に使われたものよりも良い状態で残っていたため、映画の中の映像は差替えられることになりました。その最初のお披露目の機会が、偶然にも当館での上映に重なったというわけです。この後日談は新聞でも紹介され、結果的に当館での上映により注目していただくことになりました。どこにどんなフィルムが眠っているかまだまだわからないという意味では、フィルムアーカイブの可能性を感じさせてくれるエピソードでした。

岩岡巽キャメラマン

映像アーカイブとその活用、そして匿名の映像ではなく、キャメラマンが人として撮った映像として構成していく作り手たちの思い、多くの力が結集して作られた本作は、キネマ旬報ベスト・テンで見事文化映画部門第1位に輝きました。トークイベントもまた、作品に携わった多くの方々の愛を感じられる機会となりました。ご登壇いただいた井上実監督、とちぎあきらさん、本当にありがとうございました。

翌日は、映画研究者の崔盛旭(チェ・ソンウク)さんにご登壇いただき、『福田村事件』と『金子文子と朴烈』をつなぐ歴史的な文脈についてお話しいただきました。『福田村事件』は日本映画ですが、これまでタブー視されてきた朝鮮人虐殺がひとつのテーマとなっていることもあり、韓国映画『金子文子と朴烈』と合わせて観ることでより立体的に歴史が理解できるのではないかと考えました。

崔盛旭さんトークイベント

『金子文子と朴烈』は、日韓の外交関係が戦後最悪と言われるまでに冷え込んだ時期に日本公開されました。植民地時代を描いた作品では、朝鮮を植民地支配した日本は必然的に“悪”として描かれるため、上映妨害が懸念されましたが、実際は劇場が連日満員御礼となる結果でした。その理由について崔さんは、北朝鮮との関わりからこれまで韓国国内でもほとんど知られてこなかった朴烈という人物に光を当て、これまでの“反日”的な映画とは一線を画した作りだったこと、そして何より金子文子という日本でも知られていなかった女性の鮮烈な魅力が、現代の観客を魅了したからではないかと分析されました。ただし、韓国では歴史を題材にした映画が多いものの、それらの多くは歴史的事実に映画的想像力が加えられているため、どこまでが本当でどこからが嘘かを見極めることが重要だといいます。

『福田村事件』は、本来であれば自分のような外国人(韓国人)ではなく、日本人が観て考えて書くべきテーマであるとした上で、この事件が長い間知られていなかったという事実を重く受け止め、知ろうとしないことは罪に加担することと同じだということ、皆が黙っていれば罪がなくなるわけではないのだということを改めて指摘されました。『福田村事件』はクラウドファンディングなど多くの支援によって完成しましたが、今の日本映画界はテーマによっては製作自体も困難な状況があります。

一方で韓国ではまず映画を作り、公開後に白熱した議論が交わされることをむしろ歓迎する風潮だそうです。この事件は、被害者が被差別部落出身であったがゆえに当事者の方も沈黙を貫いたという、より複雑な差別構造を持っています。彼らは朝鮮人に「間違えられた」のではなく朝鮮人に「された」「仕立て上げられた」のであり、当時の日本にあったであろう「都合の悪い人間は誰でも『不逞鮮人』にして虐殺・排除してよい」のだという雰囲気は、今の時代でも十分起こり得るものだという崔さんの警鐘は重く響きました。

トークの後半では、日清・日露戦争の時期から植民地政策を進めていく中で『金子文子と朴烈』『福田村事件』にまつわる歴史的な項目をお話しいただきました。金子文子が朝鮮での悲惨な少女時代に独立を叫ぶ朝鮮人に共感したこと、関東大震災時に内務大臣であった水野錬太郎の朝鮮との縁、また『福田村事件』で井浦新さん、田中麗奈さん演じる夫婦が過去のトラウマとして暗い画面の中で語り合う「三・一独立運動」とそこから発生した数々の虐殺について具体的に解説していただくことで、これらの映画を繋ぐ歴史的な文脈について、より理解を深めることができました。

終了後は、出版されたばかりの崔さんの著書『韓国映画から見る、激動の韓国近現代史』のサイン会も開催しました。中には香川から来てくださった方もいて、香川出身の鎌倉の方も交えて話に花が咲きました。デリケートなテーマに向き合ってくださった崔盛旭さん、本当にありがとうございました。

今回のシネマウィークでは、異なる側面から「関東大震災」を描いた作品を上映し、震災という歴史をより立体的にすることを目指しました。2日連続でのイベント開催となりましたが、ご参加いただいた皆さま、ありがとうございました。

崔さん書籍