『砂の器』トークイベント

現在開催中の企画展「追悼・山内静夫 松竹大船撮影所物語」の関連イベントとして、5月21日(土)『砂の器』上映後、トークイベント「監督・野村芳太郎と撮影監督・川又昻」を開催しました。今回ご登壇いただいたのは、野村監督のご子息であり映画プロデューサーの野村芳樹さん、現在『砂の器』に関する書籍を準備中という映画評論家・映画監督の樋口尚文さん、そして、本作の核とも言える幼少期の回想シーンで本浦秀夫の子ども時代を演じた春田和秀さんです。

松本清張の原作小説が1960~61年に連載されていた頃から映画化の話はあったそうで、清張作品で高い評価を得ていた野村芳太郎監督と脚本家の橋本忍さんが中心となって準備を進めていたのですが、ハンセン病を扱った作品であることからなかなか企画が通らず、ようやく実現したのは15年近く経った1974年でした。公開後は全国各地で大ヒットとなり、劇中曲の素晴らしさもあいまって、見る者を惹き付けてやまない不朽の名作として現在まで愛され続ける作品となりました。

2020年に出版された、野村監督のキャリア全体を振り返る書籍「映画の匠 野村芳太郎」では、野村芳樹さんの監修のもと、野村家に保管されていた数多くの貴重な資料が整理され紹介されています。クライマックスの舞台となるコンサートホールを探し出したのも野村芳樹さんだったそうです。監督自身が「展開の前半、集約の後半」と称したように前後半で大きく構成が異なる本作は、後半から終盤にかけて、和賀(加藤剛)のピアノによる協奏曲<宿命>の演奏と、警察で今西(丹波哲郎)が語る捜査の過程、そして親子(加藤嘉、春田和秀)が日本各地を放浪する回想場面が交錯し合います。本作の成功の鍵は「親子の巡礼の旅」であると確信した監督は、約1年かけて全国各地で四季の風景を撮影しました。野村芳樹さんによると、「放浪中の親子が、わざわざ冬に竜飛崎のような寒い場所に行くわけがない」とそのリアリズムの欠如を気にする意見もあったそうですが、ここで描かれるのは親子の実際の姿ではなく観客一人一人が思い浮かべるものだからと、イメージの強さを優先したということでした。

野村芳樹さん

当時すでに人気子役として忙しい日々を過ごしていた春田さんは、本作の撮影で各地を転々としたため、さらに学校に通うことが困難になり、劇中で小学生たちに羨望の眼差しを送る秀夫少年はまさに自分自身だったそうです。<宿命>がドラマチックに流れる中の回想場面には、音はまったくついていないのですが、撮影時には台詞を発したり叫んだりしていたそうで、家々の入口で唱えていた御詠歌は今でも覚えていると歌ってくださいました。春田さんはその後、俳優業を離れ、これまでのキャリアを封印して第二の人生を送っていたのですが、それから数十年を経てようやく、作品に対して恩返しをしたいという気持ちになったと話してくださいました。

春田和秀さん

そんな春田さんを再び表舞台へと引き上げたのが、樋口尚文さんです。2017年に上梓した「昭和の子役 もうひとつの日本映画史」で春田さんにロングインタビューを行った樋口さんは、その後も春田さんの遠い記憶をともに解きほぐしながら、各地の上映会に出向き、春田さんのお話を全国の皆さんに届けています。今回のトークでも、樋口さんは野村さん、春田さんそれぞれから次々とエピソードを引き出し、絶妙な司会ぶりで会場のお客様を魅了してくださいました。

樋口尚文さん

最後には野村芳樹さんより、丹波哲郎さんが捜査会議での重要な場面の撮影で、「被害者の三木謙吉」という台詞を何度も何度も「被害者の三木のり平」と間違えたというエピソードまで飛び出し、会場は大きな笑いに包まれました。

トークイベントにあたり、友の会サポーター/ポスターコレクターの方よりお借りしたポスター

今回のイベントは、2019年10月5日に逝去された『砂の器』の撮影監督・川又昻さんの追悼企画として、2020年3月に予定していたものでした。こうして2年越しに実現することができ、スタッフ一同とても嬉しく思っています。野村さん、樋口さん、春田さん、素晴らしいトークをありがとうございました。(胡桃)