監督・田中絹代<監督作品上映とトークイベント>

特別展「田中絹代―女優として、監督として」もいよいよ佳境を迎えました。

これまで関連上映では、田中絹代の代表的な「出演作」をご紹介してきましたが、11月23日~28日の1週間は、6作品ある「監督作」から3作品を上映しました。

田中絹代の監督作はDVDなどソフト化されていない作品がほとんどで、劇場での上映機会も少なく、監督としての実績自体もあまり知られていませんでした。それが、今年のカンヌ国際映画祭で『月は上りぬ』のデジタル復元版が紹介され、続けてフランス・リヨンのリュミエール映画祭で特集が組まれて大好評を博したことを受けて、逆輸入的に東京国際映画祭でも4作品が4Kで上映される運びとなったのです。こうして海外での再評価とデジタルリマスター素材の制作によって、「監督・田中絹代」に対する注目が一気に高まり、作品にもアクセスしやすい状況が生まれました。

リュミエール映画祭・田中絹代特集のポスター

当館で上映したのは復元版ではありませんでしたが、それでも東京国際映画祭に続き、田中絹代の監督作品をスクリーンで鑑賞する貴重な機会となりました。とりわけ初監督作『恋文』は、東京国際映画祭では上映がなかったこともあり、多くのお客様にお越しいただくことができました。

また、小津安二郎監督からシナリオを提供された『月は上りぬ』は、鎌倉で愛され続ける小津監督らしい物語が展開し、当館のお客様にも親しんでいただけたのではないでしょうか。

そして、田中絹代が初めて自ら題材を選んだ第3作『乳房よ永遠なれ』では、27日(土)の上映後に明治学院大学の斉藤綾子先生にご登壇いただき、《田中絹代の監督術》というテーマでトークイベントを実施しました。

フェミニズム映画/女性映画の観点から映画を研究されている斉藤さんは、早くから「監督・田中絹代」に注目し、中でも本作を高く評価しています。トークではまず、戦時中から戦後にかけての田中のキャリアを振り返りながら、彼女が監督業に乗り出した理由を解説した上で、原作⇒脚本⇒映画を丁寧に辿り、田中絹代が映画で何を表現しようとしたかを詳しく分析されていました。

下関にある田中絹代ぶんか館では、田中が実際に読んだ若月彰の原作「乳房よ永遠なれ 薄幸の歌人 中城ふみ子」を所蔵しており、原作のどの部分に田中が赤線を引いたかまで知ることができます。斉藤さんはこの資料を読み込み、母であり妻であるふみ子が、病魔に侵されながらも「女」として生きようとした部分に田中が着目していたこと、そして田中澄江による脚本にはなかったふみ子の「歌」が映画には要所要所で散りばめられており、田中が原作の時点でそれらの歌に印をつけていたことを指摘されました。

さらに同じく田中絹代ぶんか館所蔵の撮影台本を参照すると、映画で最も重要ないくつかの場面について、田中は台本の中に詳細な絵コンテを描いている点を指摘、「周りの優秀なスタッフに支えてもらったから監督ができたんだ」というネガティブな評に対して、監督・田中絹代がいかに主体的に作品を作り上げていったかを明らかにしてくださいました。

上映機会の少なかった田中絹代の監督作を「見る」機会を持つことができたこと、そしてトークによってさらに作品の中に見える監督・田中絹代のきめ細やかな演出ぶりを「知る」ことができたこと、その両面から味わっていただいたお客様には、田中絹代をさらに深く理解し、その魅力を堪能していただけたのではないでしょうか。

斉藤綾子さん、本当にありがとうございました!(胡桃)