特別展「田中絹代―女優として、監督として」閉幕しました

9月17日より約3か月にわたって開催してきました特別展「田中絹代―女優として、監督として」は、12月12日をもって無事に閉幕しました。

特別展田中絹代展示風景

日本映画を代表する名女優であり、長らく鎌倉に住んでいた鎌倉ゆかりの映画人でもある田中絹代ですが、今回は、これまであまり知られずにいた「日本映画における女性監督の先駆け」という一面も是非知っていただく機会にしたいと考えていました。

折しも、今年のカンヌ国際映画祭・クラシック部門で監督第2作『月は上りぬ』(1955)がデジタル復元版でお披露目されました。続いて映画発祥の地であるフランス・リヨンで開催されたリュミエール映画祭でも「監督・田中絹代」の特集が組まれ、全6作が上映されて大好評を博したと聞きます。海外での再評価の高まりを受けて、11月はじめに開催された東京国際映画祭でも田中の監督作が4本上映されました。

リュミエール映画祭田中絹代特集ポスター
リュミエール映画祭・田中絹代特集のポスター

これらの動きと当館の特別展の時期がタイミングよく重なったことは、半世紀にわたるキャリアの中でたびたび発揮された田中絹代の運の強さを、今回も感じずにはいられません。国内外で注目されたことによって、当館の企画も新聞等で取り上げられる機会が増え、多くの方にご注目いただくことができました。

朝日新聞デジタルの掲載記事はこちら↓

https://www.asahi.com/articles/ASPBG77Q8PB6ULOB00W.html

当館では11月の下旬に、田中絹代の監督第1作から3作にあたる『恋文』(1953)『月は上りぬ』『乳房よ永遠なれ』(1955)を上映しました。各作品の撮影スナップをご覧ください。

『恋文』
『月は上りぬ』
『乳房よ永遠なれ』

12月4日・5日には、男性中心社会の中で闘いながら自らの作品を作り続けてきた“日本の女性監督”に焦点を合わせたプログラムを上映しました。上映作品は、1985年から2012年まで行われた《東京国際女性映画祭》の第15回記念作品として製作された『映画をつくる女性たち』(2004)、そして田中絹代より前に長編劇映画を1作監督した《日本初の女性監督》である坂根田鶴子を追った『日本初の女性映画監督 坂根田鶴子を追って』(2004)、そして坂根の監督作としては唯一現存する満映(満州映画協会)時代の文化映画『開拓の花嫁』(1943)の3本です。

坂根田鶴子 監督

今回は『映画をつくる女性たち』『日本初の女性映画監督 坂根田鶴子を追って』を監督した映像ジャーナリストである熊谷博子監督にご協力いただき、この貴重な上映機会を持つことができました。監督は2日間とも鎌倉に足を運んでくださり、上映前に舞台挨拶、上映後には観客の皆様からの質問に答えるトークイベントを開催することができました。

熊谷博子監督

長い上映時間と直前の告知だったにもかかわらず、ほとんどのお客様が残ってくださり、監督に熱い質問を投げかけました。映画界における女性監督たちの闘い、ご自身も母である熊谷監督にとっての家庭と仕事との両立、坂根田鶴子の生き方、そして『開拓の花嫁』の感想など、皆さん前のめりに監督のお話に聞き入っていました。若いお客様も多く、熊谷監督に、久しぶりの上映で女性監督や坂根田鶴子さんのことを知ってもらう機会が持てて嬉しい、今後も上映の機会を作っていきたいと喜んでいただけたことは何よりでした。

人々の価値観とともに今、世の中は大きく変化しつつあります。映画界における女性監督のさらなる活躍を期待しつつ、同時にこれまで映画界を支えてきた数々の女性映画人の功績の紹介に、当館でも引き続き取り組んでいきたいと思っています。

最終週は、優秀映画鑑賞推進事業も兼ねて、女優・田中絹代×監督・溝口健二のコンビによる日本映画史上の名作を上映しました。

初めてコンビを組んだ『浪花女』(1940)での溝口と田中

特別展「田中絹代―女優として、監督として」にご来場いただいた皆様、多大なご協力を賜った関係者の皆様、本当にありがとうございました。(胡桃)