映画ポスター よもやま話
こんにちは。先日までは初夏の陽気を感じるような天気でしたが、ここ最近は雨が続いています。家の中で多くの時間を過ごしていると、季節の変化の感じ方も例年とは異なるような気がします。屋根を叩く雨の強度の違いにまで、最近では敏感になってしまいました。
さて、今日は映画ポスターに関するお話です。近年ではインターネットでさまざまな国の映画ポスターを簡単にみることができるようになり、アメリカ版ポスターが日本公開時のポスターの絵柄とは大きく違っていて驚いたという方もいらっしゃることでしょう。
『タクシードライバー』(1976)ポスターデザイン:ギィ・ペラート(小野里徹氏所蔵)*1『007 私を愛したスパイ』(1977)ポスターデザイン:ボブ・ピーク(小野里徹氏所蔵)*2
映画ポスターは各国でサイズも紙も印刷技法も異なり、それぞれ時代によって制約されるルールも違ってきます。では日本の映画ポスターはどんなものが一般的なのでしょうか。
まずはサイズから順番にみていきましょう。
『狂った一頁』(1926)監督:衣笠貞之助*3
B2ポスター[515mm×728mm] ※実際には映画ポスターごとにサイズの誤差があります。
〇最も一般的なサイズです。B2判、B半裁とも言います。
『婦系図』(1962)監督:三隈研次/『婦系図 湯島に散る花』(1959)監督:土居通芳(国立映画アーカイブ所蔵)*4
スピードポスター[255mm×728mm]
〇B2ポスターを縦に半分にしたサイズで、いち早く劇場に配布された速報用の簡易ポスター。作品のメインビジュアルがまだ決まっておらず、文字(題字や惹句)だけが描かれたものもあります。
『白鷺』(1958)監督:衣笠貞之助(国立映画アーカイブ所蔵)*5
タテカンポスター[515mm×1456mm]
〇B2ポスターを縦に二枚つなげたもの。海外にはB0判の大きなポスターが主流の国もありますが、このタテカン(立て看)のサイズは日本独自。コンパクトなサイズで全国の劇場に配布して、現場で広げてつなぎ合わせるという発想はとっても日本的。
『怪談』(1965)監督:小林正樹*6
そのほか、B1判を横に3枚つなげたものや2シート、1シートサイズなどの大判ポスターが作られることもあります。正月映画、大作映画など製作費、宣伝費ともに大がかりな作品の場合、このような大判ポスターを作ったり、デザインの異なるポスターを数種刷ったりという宣伝展開がみられます。
『アラビアのロレンス』(1962)監督:デヴィッド・リーン(国立映画アーカイブ所蔵)*7
次は映画ポスターの印刷技法に関して。
ゴムシートを介して版の摩耗を少なくし、(直刷りよりも)大量の印刷が可能となったオフセット方式の印刷が一般的ですが、大正時代には石版刷り(リトグラフ)の映画ポスターもみられます。かつてロートレックやミュシャのポスターにも用いられていた技法です。1950年代から70年代にかけては、シルクスクリーン印刷がオフセット印刷よりも安く、独特の質感が出るため、小規模の部数を刷るポスター印刷には多用されていました。
この時代に和田誠さんは印刷所に依頼され、9年間(1960~1968)、仕事の傍ら新宿日活名画座のポスターをシルクスクリーンで描き続けました。ATG制作の映画ポスターの中にもやはりシルクスクリーン印刷で制作されたもの(横尾忠則氏デザインの『新宿泥棒日記』B1判)、あるいは和紙を下地にしたもの(林静一氏デザインの『曼陀羅』)などがありました。
『ハバナの吸血鬼』(1985)ポスターデザイン:エドゥアルド・ムニョス・バッチ*8
『怒りのキューバ』(1964)ポスターデザイン:レネ・ポルトカレーロ*9
(ともに国立映画アーカイブ所蔵)
海外のポスターにも目を向けてみましょう。
キューバで作られる映画ポスターは、ほとんどがシルクスクリーン印刷です。これは映画宣伝部内に手刷りのシルクスクリーンを印刷できる工房があったためです。イギリス・ロンドンにある映画館、アカデミー・シネマでは、ピーター・ストロスフェルドという映画ポスター作家が専属で34年間(1947〜1980)、上映作品のポスターを描いています。木版画の専門だったピーター・ストロスフェルドは、その技術をうまく活用し、版画の陰影や質感をいかした作風で、小津映画からヌーヴェルヴァーグ、ニューシネマからバスター・キートンのコメディ作品にいたるまで実に多彩なプログラムをすべて一人で手がけていました。
「バスター・キートン特集」のポスター(1970年代)*10
ポスターデザイン:ピーター・ストロスフェルド
最後に。
『めまい』(1958)ポスターデザイン:ソール・バス(小野里徹氏所蔵)*11
皆さんはこのポスターをご存知でしょうか。アルフレッド・ヒッチコック監督『めまい』のポスターです。本作のポスターデザインと劇中のタイトルデザインを手がけたのは、ソール・バスというアメリカを代表するグラフィックデザイナーです。
2020年は、ソール・バス(1920年5月8日 – 1996年4月25日)の生誕100年にあたります。オットー・プレミンジャー監督の『悲しみよこんにちは』や『黄金の腕』のタイトルとポスターを制作したほか、『八十日間世界一周』『オーシャンと十一人の仲間』などのタイトルデザインも手がけたこの道の第一人者です。日本のグラフィックデザイナーにも多大なる影響を及ぼしたというだけでなく、「京王百貨店」のハトの包装紙やティシューの「クリネックス」、「コーセー化粧品」などの企業ロゴもデザインしています。皆さんの身近なものの中にソール・バスの仕事がきっと潜んでいることでしょう。黄金期の映画産業の及ぼした影響の大きさとも言えますが、映画ポスターのデザインは映画館を飛び出し、街中の大きな掲示板やスマートフォンの中へと、今や私たちの暮らしのいたるところに広がっています。たとえその映画を公開時にみなかったとしても、かつての/今現在の生活の一部として、当時ヒットした作品のポスターが散見され、記憶に中に残っていくことでしょう。しばらくは街角でそうした文化に触れる生活ができない状況になってしまいましたが、書籍やインターネットを通じて、皆さんもお気に入りの映画ポスターを探してみてください。(B.B.)
※ポスター所蔵未表記のものは全て川喜多記念映画文化財団の所蔵。
*1 企画展「映画で巡る世界一周」(2019)で展示
*2.8.9.10.11 企画展「魅惑の映画ポスターデザイン ~甦る街角の芸術~」(2018)で展示
*3.4.5.6 特別展「泉鏡花没後80年 明治・大正文藝シネマ浪漫」(2019)で展示
*7 企画展「歴史を旅する映画」(2018)で展示