二人の鎌倉の映画人、佐田啓二さんと小津安二郎監督が記念館に降臨した日

気持ちの良い春の陽気が続いていますね。
新緑が美しく、記念館の庭園ではツツジの紫色がよく映えています。

4月28日(金)には、「鎌倉の映画人 父 佐田啓二を語る」と題して、佐田啓二さんの御息女であり女優、エッセイストとして活躍されている中井貴惠さんが、松竹の元プロデューサーで小津監督や佐田さんとも親交が深かった山内静夫さん(御年91歳!)をゲストに迎える形でトークイベントを開催しました。

貴惠さんと山内先生は、小津監督の作品を朗読と演奏で“聞いて楽しむ”という「音語り」をご一緒にやられていて、お二人で小津監督を語る機会はたびたびあるのですが、佐田啓二さんのお話をされる機会というのはあまりなく、ゆかりの深い鎌倉の地で佐田さんのお話を聞く貴重なイベントとなりました。

佐田啓二さんは、後期の小津作品を支えた常連俳優であると同時に監督と公私にわたっても親交が厚く、佐田さんと奥様の結婚時には小津監督が木下惠介監督と共に仲人を務め、また監督が癌で闘病していた時期には佐田さんが献身的に看病したことはよく知られているところですね。

佐田さんは松竹の新三羽烏とも呼ばれ、映画界きっての二枚目として現在に至るまで多くの映画ファンを魅了してきましたが、その私生活を知る機会はあまり多くありません。
私個人にとっても、これまで佐田さんはスクリーンの中で輝くある意味遠い存在でした。ところが、トークの中で貴惠さんが、佐田さんが小津監督を看病していた頃につけていた看護日誌を読み聞かせる一幕があったのですが、それを聞いているうちに、監督の肉体的な苦しみと同時にそれを見守る佐田さんの精神的な苦しみが生々しく感じられて、じーんと胸に迫るものがありました。そしてなんだか、この会場のどこかに佐田さんと小津監督が漂っているような、そんな気配を感じたのです。
貴惠さんの語りの力は勿論のこと、山内先生が当時のことを思い出して、「佐田さんの小津監督への態度は立派だった」と涙を流されたことも影響したかもしれません。トークの最中に思わずこみ上げてくるものがあるなんて、私自身びっくりしましたが、もしかしたらお客様たちも同じだったかもしれません。

山内先生と佐田さんは、小津監督の苦しい最期を看た間柄であり、それから1年も経たずして佐田さん自身も交通事故に遭い、37歳の若さで亡くなられたことを考えると、貴惠さんと山内先生にとってお二人の思い出を語るのは、決して楽しいものではないはずです。
その中で、明るく、和気あいあいと話してくださったお二人には心から感謝したいと思います。

でも、私にはやっぱり貴惠さんが羨ましい。
生涯独身で子どものなかった小津監督は、貴惠さんのことをそれはそれは可愛がったといいます。
以前別の展覧会で、監督が貴惠さんに送ったという葉書が展示されていて、愛に溢れた言葉とユーモアの詰まったイラストに思わず嫉妬心を抱いてしまったことがありました。
そして今回も、貴惠さんのお母さんが監督の前で貴惠を叱りつけた後に、監督が顔を洗いに立ち、目を赤くしてお母さんに「あんな可愛い子を叱りつけるなんてあなたは悪魔だ」と言ったエピソード、貴惠さんの七五三に入院中の小津監督を訪ねたら、二人で植木等の「スーダラ節」を歌ったという看護日誌の一節、貴惠さんを膝に乗せてお酒を呑んでいた監督が、指にお酒をつけてペタペタと舐めさせ、お母さんが悲鳴を上げたお話、そのひとつひとつに、私たちの知らない、映画監督でない小津安二郎を感じて、やっぱり、このうえなく羨ましいと思わずにはいられませんでした。

佐田さんと小津監督、そして小津監督と貴惠さんの絆を改めて感じると共に、お二人の死から50年以上が経った今でも、お元気な山内先生のおかげで当時のお話を聞くことのできる有難みを実感したイベントでした。(胡桃)