池澤夏樹さん、鎌倉で語る ~川喜多和子さんの思い出とともに~
2月20日(土)、生憎の雨模様、しかし幸い嵐とまではいかない中、鎌倉市川喜多映画記念館では池澤夏樹さんのトークイベント「映画は文学を変える」を開催しました。
今回の企画展「映画が恋した世界の文学」は、その名の通り「映画と文学」の関係性に焦点を当てているため、関連イベントでは文学者の方をお呼びしたいと、映画との関わりも深い池澤夏樹さんにお声がけしたところ、池澤さんはかつて、川喜多夫妻のお嬢さんである川喜多和子さんと仕事仲間でもあったというご縁もあり、お引き受けいただくことができました。
池澤さんが来てくださるというだけでとても有難いのに、さらに「映画は文学を変える」という大胆かつ鮮やかな題目を頂戴し、スタッフ一同興奮を禁じえませんでした。また、当日は今は亡き和子さんが大好きだったというデンファレのお花を飾り、和子さんが席で池澤さんのお話を聞いているような、そんな気持ちを込めて臨んだのでした。
数冊の本とペンケース、そして講演内容のメモ書きを携えて登場した池澤さんは、川喜多和子さんのお話から、テオ・アンゲロプロス監督の映画と字幕翻訳という作業、そして本題に入り、映画の誕生によって小説の文体がいかに影響を受け、変化していったのかについて、シェイクスピアから『第三の男』を経由して大岡昇平にまで広げながら、淡々と見事な語り口でお話しくださいました。
小説から詩、戯曲からシナリオに至るまで様々な文学の形態に言及し、かつ古今東西の文学を自在に行き来するお話は、決して簡単な内容ではあ りません。私は自分がこれまでに読んできた作品を総動員しつつ、そのあまりの浅さと偏りに対して失望さえ感じてしまうほどでした。しかし、ところどころ間を置きながら、一点を見つめて次の言葉を確かめていく池澤さんの語りと間はとても心地よく、あぁもっと色々なものを読みたい、そして今日のお話を実感と共に味わいたい!と、新たな知的欲求の萌芽を感じる時間でもありました。
今回の講演会は、日々お仕事や執筆でお忙しい上に、現在は北海道にお住まいである池澤さんに、散々ご無理を申して実現した企画だったため、例えばサイン会のような更なるお願いをするわけにはいくまいと考えていたのですが、池澤さんがあまりにもさらりと「どうぞ、構いませんよ」と言ってくださったので、ついつい甘えてしまい、講演後はサイン会を実施する運びとなりました。
その場で書籍をご購入いただいた方も沢山いらっしゃいましたが、もしかしたら…という思いで愛読書を持参でご参加いただいたファンの方も多く、皆さんの喜ぶお顔を見て嬉しく思うと同時に、池澤さんへの感謝の気持ちが幾度となく湧き上がりました。
主催者として、イベントを滞りなく終えること、来てくださったお客様に満足していただけることは最も重要ですが、つくづく感じたのは講演者である池澤夏樹さんの素晴らしさです。
真の大物とは、決して権威的な振る舞いを見せず、当たり前のように自然にそこに存在しながら、鋭い眼差しで切り取った世界を、鮮やかに私たちの前に提示して見せてくれるのですね。
偉大な方とのお仕事は、緊張もするし、自分のちっぽけさや出来の悪さが浮き彫りになってしまったりもするのですが、それ以上に学ぶことが多く、刺激的で、何にも換えがたい悦びがありました。
雨足が強まる中タクシーの申し出にも応じず、雨にも十分耐えうるスニーカーにジャンパーとリュックサックという出で立ちで、「少し歩きたいので」と言い残し、慣れた様子で裏通りに消えていった池澤夏樹さんは、それはそれは格好良く、記念館は知的な色気で満たされて誰もが少し酔っているようでした。
その夜、スタッフ一同和子さんの思い出話にしみじみと浸ったことは、言うまでもありません。
池澤夏樹先生、ありがとうございました。(胡桃)