『さよならをもう一度』をより深く、より楽しむ ~中央図書館「川喜多アワー」と映画談話室~

企画展「映画が恋した世界の文学」の関連上映で、フランソワーズ・サガン原作、イングリッド・バーグマン主演の『さよならをもう一度』を上映しています。(2月18日まで)

当館では3度目の上映となりますが、上映の度に多くのお客様に喜んでいただき、こちらは嬉しい悲鳴を上げています。
人気の秘密はさてバーグマンの美しさか、懐かしいサガンの原作か、はたまたパリの街を背景に描かれる大人のメロドラマの味わいか…きっとそのすべての要素があるからなのでしょう。

ところで記念館では、昨年度より鎌倉市中央図書館との連携イベントとして「川喜多アワー」という講座を実施しています。記念館や川喜多夫妻の紹介と開催中の企画展の見所解説を、当館学芸員が図書館内の一室で行うというもので、図書館を利用されている市民の方に記念館のことを知っていただく良い機会になっています。
今回は、企画展担当者である私(胡桃)が解説をさせていただきました。
企画展の見所紹介といっても、あまり全部をさらけ出して、記念館まで展示を見に来る必要がなくなってしまっても困ります。企画展の構成とは違った形で「映画と文学の豊かな関係」を掘り下げることはできないものか…
そこで、サガンの『ブラームスはお好き』とその映画化である『さよならをもう一度』から、いくつかの場面を抜粋して、小説と映画、それぞれの表現方法の違いを比較してみることにしました。
小説でバーグマンの心情が吐露されている箇所は、映画ではナレーションを使わずにどのように表現しているか。
「ブラームスはお好き」のセリフは、映画でどのような工夫と共に発せられるのか。
こういったことについて、実際に比較してみることで、小説でしか味わえない言葉の奥行きに気づき、言葉に頼ることのできない視覚的表現である映画ならではの小道具の使い方、俳優の演技の力を敏感に感じ取ることができるのではないでしょうか。
特にこの作品は、原作のタイトルにある「ブラームス」が映画ではどのように生かされているか、が見所のひとつでもあります。小説のような繊細な表現は難しい映画ですが、逆に小説にはできない音楽を取り入れられるのは映画の強み。ひとつの作品を通して、文学と映画、どちらも楽しんでいただけたなら嬉しいです。

そして上映初日には、別のスタッフ(B.B.)が司会をつとめ、映画談話室を開催しました。
今見終わったばかりの映画について皆さんと語り合うこの談話室では、原作やサガンのこと、映画化作品の出演者やスタッフの紹介から当時のパリの時代背景まで、作品を巡る基本的な部分をおさらいしたうえで、皆さんの感想もお聞きしました。
映画では40歳という設定のバーグマンだが、それ以上の年齢に見える、ミスキャストではないかと主張される方もいれば、いいや、北欧の女性ならではの胸板厚く骨太のバーグマンが美しくてぴったりだ、と仰る方など皆様々です。
また、談話室の中ではイヴ・モンタン演じる恋人は総じて「ダメ男」であるとの認識が共有されていたようですが、終わってから後ろで見ていた私の元へ、何か言いたそうな男性がおひとり。
「皆さん、イヴ・モンタンはダメ男、ダメ男と言っていたけれど、本当にそうなのかなぁ?」
その方は発言したいのはやまやまだったが、どうもタイミングを逃してしまったとのことで、当時のフランスではあれが普通の恋人たちだったのではないかと思われたそうです。
その方とは、ラストのバーグマンの表情の意味するところについて、熱く意見が対立してしまいましたが、全部ひっくるめて、この映画の解釈は女と男ではだいぶ違うのでしょう。この作品が扱っているのは、男女の本質的な相容れなさでもあるのですから…

そんなわけで、数日の間で2度にわたって『さよならをもう一度』を取り上げる機会があったわけですが、どちらも担当したのが(比較的)若造の2人だったので、話の中身が説得力に欠けていたのは否めないかもしれません。
これから一生懸命人生の経験を積んでゆきたいものです。…バーグマンのように…(胡桃)