小津(OZU)監督の仕事を伝えていく~兼松熈太郎さんのトーク~

10月20日、小津監督の没後20年を記念して製作された作品『生きてはみたけれど 小津安二郎伝』の上映後に、同作品の撮影を担当された兼松熈太郎さんをゲストに迎えてトークイベントを開催しました。

当日は同作品や小津作品の製作を手掛けられた山内静夫さんや、オフィス小津の関係者の方々、そして超満員のお客様で劇場は熱気に溢れていました。

兼松さんは、1957年に松竹に入社して小津作品のキャメラマンであった厚田雄春さんに師事し、小津監督の『彼岸花』『お早よう』『秋日和』に撮影助手として参加されました。
フリーになってからは1000本以上のCMを手掛け、長きにわたり日本映画撮影監督協会理事長を務められていますが、同時に小津作品の現場を知る存在として、国内外の数多くの場所で小津監督の仕事を伝えていらっしゃいます。

2012年、英国映画協会(BFI)発行の映画雑誌『Sight&Sound』で、『東京物語』が「映画監督が選ぶベスト映画」の1位に輝いたというニュースはご存じの方も多いかと思いますが(因みにこれは10年に1度行われる企画なので、むこう8年は『東京物語』が1位に君臨し続けるとのこと)、兼松さん情報によると、今年20周年を迎えた釜山国際映画祭でも『東京物語』と小津監督は作品部門、監督部門でそれぞれ1位を獲得したそうで、小津映画が世界中でいかに愛されているかがわかりますね。
兼松さんは、先月の蓼科映画祭、今月の鎌倉、そして来年はマレーシアでもご招待を受けているとのことで、小津作品の語り部としてもお忙しい日々を送っておられるようです。

実際、じかに小津作品と関わってこられた方のお話は大変貴重なものでした。
他の映画と違って小道具から食べ物まですべて本物を使う小津作品では、白い手袋を使って慎重に移動させたり、実際に食べるわけではないのに、わざわざ上野の蓬莱屋から料理人の方を呼んでとんかつを揚げてもらったこと。
物を動かす際に、撮影所の位置から見た方角で「駅」「東京」「山」「鎌倉」などと呼んでいたこと。
小津監督は絶対に怒鳴らず、厚田さんが助手の兼松さんに声を張り上げると、小津監督が「厚田、怒鳴るな」とたしなめていたこと。
撮影部は給料が低く生活が厳しいので残業代が頼りだったそうですが、小津組は9-5時と撮影時間がきっちり決まっており、さらに日曜日は必ず休みだったので、小津組への参加は生活がかかっていたこと。「小津組で暇があるときはお金がなく、他作品でお金があるときは暇がない」とは名言でした。

印象深かったのは、小津監督は必ずご自身でキャメラを覗いて構図を決められていたので、厚田さんはしばしば「私はただのキャメラ番でした」と仰られていたのですが、兼松さんに言わせると、厚田さんは照明もすべて設計しており、これはハリウッドで採用されていた撮影監督というやり方で、厚田さんは日本で初めてハリウッド式の撮影を実践されたのだと。師匠への尊敬がひしひしと伝わってくるお言葉でした。
また、批評家や研究者たちが色んなことを言うけれど、それを聞くと監督はそんなこと思っちゃいないよと思ってしまう、という言葉は少し耳が痛かったです。ただ、小津作品はそれだけ皆が色んなことを言いたくなってしまうほど魅力的な映画ってことなんですよね。

最後に小津映画の魅力を尋ねられたときの答えが、私には目から鱗でした。
「小津作品の魅力は観る人ひとりひとりが感じてもらえばいいが、今の映画は観る人を意識していないから決して見やすくない、それに対して小津映画は、観る人の立場になった画作りをしているから観やすいのだ。」
観る人の立場になった画面作り、という考え方は、当たり前のようで非常に新しい視点ではないかと思いました。

兼松さんは、小津監督の甥御さんにあたる長井秀行さんとは、ボーイスカウト仲間だったそうで、小津監督は「熈太郎君はいつもスカートを履いているのかね」(ボーイスカウト→ボーイスカート)なんて言いながら特に可愛がってくださったそうです。
その長井さんは、11月20日(金)に『お茶漬の味』と併せて開催するトークイベントで、ゲストとしてご登壇される予定ですので、次回もどうぞお楽しみに!チケット絶賛発売中です。(胡桃)