鎌倉シネサロン、新藤次郎さんをお迎えして   

―8月15日。
今日も真夏の太陽がギラギラと照りつけ、うだるような暑さです。70年前の今日もこんな風に暑かったのだろうと、遠い夏に思いを馳せる大切な日、鎌倉市川喜多映画記念館では、新藤兼人監督『一枚のハガキ』の上映に合わせて、監督のご子息でありプロデューサーの新藤次郎さんをゲストに迎え、「ヒロシマと父・新藤兼人」と題してトークイベントを開催しました。

毎年8月になると、各地の映画館で戦争映画の特集が組まれますが、今年はとりわけ、戦後70年という節目の年を巡って戦争に対する社会的関心が高まっている時期でもあります。
そんな中記念館では、広島に生まれ、生涯を通して戦争と原爆のテーマに深い視線を注いだ新藤兼人監督の2作品『さくら隊散る』(1988年)と『一枚のハガキ』(2011年)を上映し、監督の映画を通して戦争の記憶と向き合っていただく機会としました。

トークは、戦後、映画会社に所属していないと映画を作ることができなかった時代に、『森の石松』の興行的失敗を契機に吉村公三郎監督らと共に松竹を飛び出し、独立プロ「近代映画協会」を設立した時代の苦労話から始まりました。
また、遺作となった『一枚のハガキ』の撮影時のお話では、クランクアップの日にいつまでも黙って前を見つめていた監督の姿を振り返りながら、声を詰まらせる瞬間もあり、次郎さんの中でいかに本作品を通して、監督でありお父様でもある新藤兼人監督との思い出が生き続けているかを感じました。

『原爆の子』、『さくら隊散る』、そして『石内尋常高等小学校 花は散れども』などでヒロシマを描き続けてきた監督が、原爆投下の瞬間を撮らなければいけない、それを是非広島市と一緒に撮りたいと、脚本を書き上げ温め続けてきた企画『ヒロシマ』が頓挫してしまった経緯や、『裸の島』で舞台となった、お椀をひっくり返したような形の宿彌島(すくね島)が競売に出されてから、次郎さんが三原市に寄贈するまでのお話など、私も初めて聞くことばかりでどんどん引き込まれました。

印象的だったのは、次郎さんが脚本家としての新藤監督を大変尊敬し、新藤脚本で最も素晴らしいのは「構成力の高さ」であり、話をする時にも監督は常に構成を考えながら話していた、と仰っていたことでした。
今では監督としての姿の方がずっと広く知られていますが、映画上映に携わる身として感じるのは、日本映画史に燦然と輝く実に多くの作品で新藤監督が脚本を手がけられ、映画会社もジャンルも問わないそれらの作品の多様さは、驚異的としか言いようがないということです。
なので、脚本家としての新藤監督の素晴らしさを、少し照れながらも誇らしげに語る次郎さんは、こちらも思わず大きく頷いてしまいましたし、聞いていてとても清々しい気持ちがしました。

そしてはっきり言えることは、聞く者をぐいぐい引き込む次郎さんの話術はきっとお父様譲りであり、気張らずソフトな口調で私たちを安心させながら、しかし絶対的に面白いお話をしてくださるその確実さは、まるでお父様の脚本のようだ、ということです。

私達スタッフも、時にお客様の前でお話ししなければいけないことがあるのですが、どうしたら皆様の心を掴むことができるのか、苦心の日々を送っています。何かコツがあるのであれば、是非次回はそれを教えていただきたいものだ…などと考えてしまった終戦記念日なのでした。(胡桃)