特別上映「地図で辿る清張映画の焦点」 振り返り

7/1(土)~10/1(日)にかけて、日本映画の中から“日本の風景”を見出す企画展「シネマ紀行―日本の風景」を開催しました。

日本の風景を見出すのにふさわしい作品の一つとして、松本清張の原作小説をもとにした映画作品(以下、「清張映画」と表記)が挙げられます。 企画展のトークイベントとして、9月9日(土)に書籍「地図で読む松本清張」(帝国書院刊)の編集者である大平原(おおひらばる)寛さんをお招きし、地図を通して清張映画を振り返りました。

【「地図で読む松本清張」とは】


「地図で読む松本清張」は、清張の小説の中に登場する出来事や場所を地図と文章で詳しく読み取り、作品をより楽しむための書籍です。書籍の前半では「ゼロの焦点」や「砂の器」をはじめとした11作品を地図と文章で紹介しており、後半では1957(昭和32)年に帝国書院が刊行した中学校用地図帳の中に清張作品に登場する題材を見出したほか、清張映画のロケ地となった場所、さらに清張の年表などを紹介しています。大平原さんによると、地図に落とし込むために徹底的に清張の小説を読み込み、清張作品の地名をデータベース化したそうです。今回のイベントでは「球形の荒野」のデータベースの一部を例として提示していただきました。作品の鍵となる場所に限らず、登場人物のささいな会話に登場した地名まで網羅し、非常に充実したデータベースでした。

次に、清張と帝国書院の関係について年表で照らし合わせました。清張は小倉の(いた)(びつ)尋常高等小学校高等科を卒業後、川北電気小倉出張所の給仕となり、家計を支えています。清張はこの頃より文学に親しんでいたといいますが、実際に「書く」仕事を始めたのは1937年(昭和12年)に朝日新聞九州支社の広告部意匠係臨時嘱託として採用されて以降のことです。やがて、清張は1950(昭和20)年に週刊朝日で入選した「西郷札」を機に作家としての人生を歩んでいくことになります。

一方、1917(大正6)年に創業した帝国書院は、清張が小学校で地理を学んだであろう頃にはすでに教科書を発行していたことから、清張が帝国書院の教科書を読んでいた可能性が大いにあると大平原さんは示唆します。「地図で読む松本清張」では、未知の土地への憧れを抱き地図をこよなく愛した清張の地理的なセンスを、帝国書院ならではの切り口で紹介した今までにない書籍といって過言ではないでしょう。

本イベントでは実際に清張作品を取り上げ、五つのテーマから地図を辿り、小説や映画と照らし合わせることで清張作品における“日本の風景”を見出しました。その中から、取り上げられた作品のうち、「ゼロの焦点」をご紹介します。

「ゼロの焦点」では、主人公・()(はら)禎子の北陸への足取りを地図で辿りました。「ゼロの焦点」では禎子が行方不明となった夫の鵜原憲一を探すために東京の上野から石川の金沢に向かいます。小説の冒頭で触れられる地名をもとに列車を推測すると、長岡を経由する上越線を利用したことが浮かび上がりました。大平原さんが1957年の時刻表を取り寄せて照合したところ、21時15分上野発の急行「北陸」を利用し、金沢には翌朝8時17分に到着していたことが明らかになったそうです。

小説の冒頭に登場した地名をもとに1957年の中学校社会科地図で辿ると、当時の上野から金沢までの経路は大きく3つの可能性があったそうです。当時の時刻表をもとにすると、

①上越線を経由したルート

②信越線を経由したルート

③東海道線を経由したルート

が浮上したそうで、所要時間を比較すると①が約11時間、②が約10時間、③が約11時間30分でした。ここで清張が小説に採用し映画にも登場した①のルート(夜行)よりも②のルート(昼行)の方が、所要時間が短縮されることが明らかになりました。これに対して、清張が禎子の心理や作品に合わせて選んでいたという見方も出来るのでは、と大平原さんは推測されました。清張は自身初の長編推理小説となった「点と線」においても時刻表をトリックに用いていることから、清張が時刻表や地理・地図に明るく、いくつかのルートがあったことを知っていた可能性があります。禎子の旅路には様々な選択肢があったということに客席からも感嘆の声が漏れました。

「ゼロの焦点」から二つ目のテーマとして鵜原憲一が身を投げた断崖を挙げられました。映画では金沢にある「ヤセの断崖」がロケ地として選ばれていますが、このヤセの断崖のシーンでは禎子が犯人と対峙し、犯人が罪を告白しています。追い詰められた犯人の心理を見事に表現しており、その後のサスペンス作品にも影響を与えました。小説では映画に登場する「ヤセの断崖」という具体的な名前は挙がっておらず、書籍の編集にあたって、大平原さんは小説で挙げられた地名から作中で鍵を握る田沼久子の自宅や鵜原憲一の自殺現場を推測したそうです。映画では、劇中に登場した警察署の看板に「富来(とぎ)」という地名が入っていたことやヤセの断崖の位置から映画における場所の設定が推測出来ます。小説と映画で比較すると、小説で推定される場所と映画で舞台とされた場所は異なっている可能性があると大平原さんは示唆しました。さらに、映画で重要な役割を果たしたヤセの断崖は2007年の能登半島地震で崩落し、姿を変えていることから、映画『ゼロの焦点』におけるヤセの断崖はもう見られない風景であることも紹介されました。

大平原寛さん

企画展「シネマ紀行―日本の風景」では、景色にとどまらず、作品の舞台となっている当時の社会や人々の姿も含めて“風景”としてご紹介してきました。松本清張作品は、これまでに35作品が映画化されています。近年では2009年に『ゼロの焦点』がリメイクされたことで話題となりましたが、松本清張が小説で描いてきた社会は今では見られないものが多くあります。映画を通して見出す日本の風景が大平原さんのお話と地図で鮮明となり、清張映画への理解がさらに深まる機会となりました。ご参加いただいた皆さん、大平原さん、ありがとうございました。